
(「紫宸殿」の白砂を敷き詰めた庭で左右に
「左近の桜」と「右近の橘」)
前回ご紹介した「京都迎賓館のガイドツアー」(9:30~11:00)の
集合場所に8:30に着いてしまいました。
未だ1時間あるので、宮家や公家の邸宅が並んでいたという広大な
「京都御苑」を散策します。
この広大な「京都御苑」の敷地の中に、「京都御所」や「京都迎賓館」
等が点在します。

写真は、その広大な京都御苑の端にある「蛤御門」(はまぐりごもん)
です。

幕末の「禁門の変」では、「会津・薩摩の連合軍」と「長州」が、
京都市中で激戦を繰り広げましたが、その最大の激戦地が
ここ蛤御門でした。

今も、蛤御門の扉には、写真の様に、当時の弾痕が残っています。

この激戦の結果、長州は敗北し、幕府の長州征討の軍が山口へと
向かいます。

(「学習院発祥の地」の説明版:学習院は、この地から、
現在の目白へ移転しました。)

(「土御門第跡」の説明版:ここに、平安時代に権勢を誇った
「藤原道長」の豪華な邸宅がありました。)
9:20になったので、京都迎賓館のガイドツアー」の集合場所に
向かいます。
そして、前回ご紹介した「京都迎賓館」のガイドツアーを定時の
11時に終えて、それから「京都御所」の見学に行きます。

(清所門)

「京都御所」の公開の入り口は「清所門」で、この門を入ると
手荷物検査があり、整理札を回されますので、首にかけます。
置いてあるパンフレット(この文末の地図)を片手に、
下記の①から⑩のパンフレットの順序通り進みます。
①「見学入口(清所門)~新御車寄」

御所に入ると、上の写真の唐破風(からはふ)屋根の「御車寄」が
あります。

上の写真は「新御車寄」で、靴のままで昇殿出来る様に、
床面が絨毯になりました。
②「諸大夫の間」

御車寄から昇殿する高官(公卿など)以外は、上の写真の
「諸大夫の間」から昇殿して、身分毎に各室に控えました。
③「紫宸殿」と「建礼門」

平安時代の寝殿造を基調とした「紫宸殿」では、天皇の即位などの
儀式が行われ、昭和天皇まではここで即位されました。
また、明治元年の「五箇条の御誓文」が行われたのもここです。

建物の中には、天皇の座である「高御座(たかみくら)」が
置かれています。

「紫宸殿」の正面は、一面に白砂を敷き詰めた庭で、
上の写真の様に、左右に「左近の桜」と「右近の橘」が
あります。

紫宸殿の庭は回廊で方形に囲まれ、その南は御所の正門である
上の写真の「建礼門」です。
因みに、時代祭と葵祭は、この「建礼門」の前からスタートします。
④「春興殿」と大正天皇

(春興殿:写真を撮り忘れたので、上の写真の春興殿は、
京都御所の公式ホームページから拝借しました
)
「春興殿」は、大正天皇の即位の礼のために建てられた神殿です。
大正天皇は、幼いころ髄膜炎を患い、障害があったので、
帝国議会の勅書を丸めて覗いた、という「遠眼鏡事件」を、
歴史の授業で教わったのを思い出しました。
⑤「清涼殿」


清涼殿の室内は、間仕切りで多くの部屋に分かれています。
(平安時代末期の特徴)
清涼殿の中には、天皇が儀式の際に御手水を召される「御手水
(おちょうず)の間」と、天皇が御膳を召し上がる「朝餉
(あさがれい)の間」があります。
豊臣秀吉が、新たな天皇のお住まいとして「御常御殿(おつね
ごてん)」を設けると、それ迄のお住まいの「清涼殿」は、
儀式専用の御殿となりました。

(御常御殿)
⑥「小御所・蹴鞠の庭・御学問所」

上の写真の「小御所」は、四方に板敷の廂(ひさし)を付けた
宮殿建築様式です。
明治維新では、大政奉還後の「徳川慶喜」の処遇を決める
「小御所会議」がここで開かれ、徳川慶喜の内大臣辞退、
徳川家の所領の返還が決定されました。

写真は、「蹴鞠(けまり)の庭」です。

(「蹴鞠(けまり)の庭」)
革製の鞠(まり)を相手が蹴り易いように渡して、地面に
落とさないように続けます。
大河ドラマ等で蹴鞠のシーンを見ましたが、こんなに狭い場所で
やっていたとは、驚き!

写真は、和歌の会などが定期的に行われた書院造の「御学問所」
(ごがくもんじょ)です。

また、御学問所は、天皇自身や近臣の教養を高める場としても
用いられました。
新政府の樹立を宣言した「王政復古の大号令」は、ここで
発せられました。
⑦「御池庭」


「御池庭」(おいけにわ)は、中央に大きな池を配た池泉回遊式の庭園
です。
中島には、エリザベス女王が鯉に餌をやられた、高欄のついた「欅橋」
(けやきばし)が架かっています。

⑧「御常御殿と御三間」

写真は、天皇のお住まいである「御常御殿」(おつねごてん)です。

御常御殿の南側の上段・中段・下段の間の3室は、参賀や
節句の宴などの儀式が行われました。
庭に面して蔀戸(しとみど)を釣り、天皇の御座(ぎょざ)がある
上段の間の背後に、帳台構(ちょうだいがまえ:剣璽の間への入口)
を配しています。

写真の「御三間」(おみま)は、その名の通り3つの部屋がある
御殿で、簀子縁(すのこえん)が付いています。

⑨「御内庭」

天皇が日常生活を送られた「御常御殿」の前に広がるのが、
遣水を流した曲水庭園の「御内庭」(ごないてい)です。

⑩出口

約1時間で一回りして、松林「御台所跡」から、出口へ向かい
ました。
知人とランチをするため、出口でタクシーを呼んで、京阪電鉄の
「神宮丸太町駅」へ向かいます。


京阪電鉄の「清水五条駅」で下車して、知人の行きつけの
「京麩(きょうふ)」で一緒にランチをしました。



「京麩(きょうふ)」の奥庭には、江戸時代の弁当箱が展示されて
いました。(入場無料)



私は、写真の「いちひめ」(1,800円)を注文しました。 
・とろりとした「汲みあげゆば」のご飯、・なま麩の酢みそ和え、
・おからサラダ、・昆布の佃煮、・季節野菜の糀漬け


デザートは、中身アンコの「麩まんじゅう」です。

ps.
※ これまでにご報告しました様に、私のホームページの
「中山道を歩く」については、はてなブログにリンクし直す大作業を
やって「中山道 」、「日光街道」、「奥州街道」、「甲州街道」、
「東海道」、「バスで行く 奥の細」、「多摩川を歩く 」、
「電車で行く薩摩街道 」の8表をリンクし直しました。
その後、上記の8表の下部の「観光スポット散策 九州」を
リンクし直しましたのでクリックしてみて下さい。