ウォーク更家の散歩

街道歩き、首都圏散歩、高層ビルからの展望が趣味の峰さんです

バスで行く「奥の細道」(その17) ( 「松島:湾内クルーズ」: 宮城県 ) 2018.3.14


(写真は、松島湾内クルーズの船窓から)   

”松島や ああ松島や 松島や”

よく耳にするこの句は、実は、芭蕉の句ではありません!

この句は、芭蕉よりずっと後の江戸時代後期の狂歌師・
田原坊が詠んだものです。

一般的には、松島が言葉で表現できないほど美しかったので、
芭蕉は、松島では句を詠まなかったと言われています。
ところが、実は、土芳(とほう)の「蕉翁文集」によると、
”嶋々や 千々にくだけて 夏の海”という句を、芭蕉
松島で詠んでいるのです。

しかし、何故か、「奥の細道」には、この句は載せられて
いません。

芭蕉は、この句に満足できなかったのでしょうか?

なお、松島では、曾良が一句詠んでいます。

”松島や 鶴に身をかれ ほととぎす”

ホトトギスよ、ここでは鶴がふさわしい風情なのだから、
鶴に身を変えておくれ。)
   
芭蕉は、「奥の細道」の序章の「旅支度」で、”松島の月 
先ず心にかかりて”と、何をおいても、真っ先に、松島が気に
かかると書いている様に、松島は、奥の細道の最大の目的地

のひとつでした。

奥の細道」によると、芭蕉は、塩釜から松島へ舟で渡った
とあります。

「松島は、扶桑(ふそう)第一の好風にして、凡(およそ)
洞庭(どうてい)・西湖を恥ず。」(奥の細道

(松島は、扶桑第一(=日本一)の風景であり、中国の名勝地

    の洞庭湖や西湖と比べても恥ずかしくない。)

松島を目の前にした芭蕉は、その美しさに、心を奪われて
絶賛しています。



我々のバス旅行も、芭蕉と同じ様に、塩釜港から、瑞巌寺
近くの五大堂の脇の桟橋までの40分の松島湾内クルーズに
乗船します。

芭蕉が海から見たのと同じであろう、松島の波や風に
浸食された島々の景色を見ながら進みます。



松島湾には、大小様々な島が浮かび、小島に茂る松の緑、
むき出しになった白い岩肌など、自然の作り上げた景勝が
続きます。



左手に五大堂が見えてくると、40分の船旅は終わりです。



松島湾内クルーズを終えた我々は、桟橋の脇の「五大堂」に
立ち寄ります。

松島のシンボル的な存在である「五大堂」は、海に突き出す
ように、朱色の橋でつながれた小さな島に建っています。

「五大堂」は、807年、坂上田村麻呂が東征の際に毘沙門天

を建立し、その後、慈覚大師・円仁が五大明王を安置した

ことから「五大堂」と呼ばれる様になりました。

現在のお堂は、伊達政宗が、1604年に造営したもので、
東北地方に現存する最古の桃山建築です。

なお、五大堂のお堂の中の秘仏五大明王の御開帳は
33年に一回で、前回の御開帳が平成18年だったので、
次回は平成51年だそうです・・・

五大堂の4面には、方角に従って透かし彫りの十二支の彫刻

が施されています。



五大堂からの松島の景観です。 






五大堂の入口付近に土産物屋があり、ここで下の写真の
奥の細道」のハンカチを買いました。