
加賀の国(石川県)では、「金沢」を発った「芭蕉」は、
「山中温泉」へと向かい、何と!、この温泉に8日間の
長きわたって滞在しました。
いますが、これほど長く滞在した温泉は「山中温泉」だけ
です。
「曾良との別れの地」でもあります。
あたりから、体調不良で医者にかかっており、健康を害して
いました。
の同行者として、何かと気を使い、そこから生じたストレスで
腹痛となり苦しんでいた、と言われています。
ここ山中温泉に、8日間も浸かって静養するも、回復せず、
このままでは、師匠である芭蕉の足手まといになると
考えます。
幸いなことに、金沢からは、芭蕉の弟子の「北枝」(ほくし)
芭蕉と別れ、伊勢長島の親戚をたよって一人で旅立ちます。
我々のバス旅行は、山中温泉の守護寺である「医王寺」に到着
しました。



です。

医王寺は、下の写真の様に、温泉街を見下ろす高台に建って
おり、薬師如来が祀ってあります。

医王寺の宝物館には、松尾芭蕉が山中を訪れた際に忘れて
いった「芭蕉の忘れ杖」が収められているそうです。
境内には、次頁の写真の芭蕉句碑がありました。

”山中や 菊はたおらぬ 湯の匂” (芭蕉)
(山中温泉は、延命長寿の効果のある湯の香が満ち満ちている。
あの謡曲「菊滋童」(注)の様に、菊を折ってその葉の
露を飲む必要はない。)
(注)「菊滋童」(きくじどう):中国の周の王に仕えた童で、
不老不死の薬である菊の葉の露を飲んで700歳
まで生きた。
我々のバス旅行は、医王寺を出て、山中温泉の中心街を散策
します。
のこと)の三名湯」と称えました。

上の写真は、共同浴場「菊の湯(女湯)」(写真の左側の
建物)に併設されている「山中座」で、山中節の唄や、
芸妓の踊りなどの山中伝統の芸能演芸をやっているそう
です。

上の写真は、共同浴場「菊の湯(男湯)」です。
ご紹介した”山中や 菊はたおらぬ 湯の匂” の句に由来して
います。
芭蕉は、この「菊の湯」近くの老舗の温泉宿「泉屋」に宿泊
しました。
写真は、「泉屋跡」の石碑です。

「泉屋」の主人の「久米之助」(くめのすけ)は、まだ14歳
の若者でした。
芭蕉は、彼に俳句の手ほどきをして、更に、”桃の木の
其葉ちらすな 秋の風”(注)の1句を添えて、彼に
「桃妖」(とうよう)の俳号を与えました。
(注)句意:これから俳諧の道を歩もうとする若々しい
桃妖よ、どうかその素晴らしい才能を伸ばしておくれ。
桃の木は、久米之助(桃妖)を指しています。

この「泉屋跡」の近くに、上の写真の「芭蕉の館」があり
ます。(200円)

と、そのときに詠んだ次頁の写真の二人の句碑がありました。

二人はこれまでの旅を振り返りながら、それぞれの思いを句に
託しています。
”行行(ゆきゆき)て たふれ伏すとも 萩の原” (曾良)
(病身のまま旅立ち、このまま行けるところまで行って
倒れたとしても本望だ。出来ることなら萩の咲く野原で
死にたいものだ。)
”今日よりや 書付消さん 笠の露” (芭蕉)
(今日からは一人の心細い旅となる。笠の「同行二人」の文字
を、笠に降りた露で消すことにしよう。)
されており、芭蕉が滞在した「泉屋」の隣の「扇屋」(泉屋の
主人の桃妖の妻の実家)を修復した部屋もあります。


我々のバス旅行は、今晩の宿、ここ山中温泉の中心にある渓谷
沿いの「ロイヤルホテル山中温泉」へ向かいます。

昨晩は、「ロイヤルホテル山中温泉」に宿泊し、ゆったりと
温泉に浸かり、早朝、もう一度浸かって温泉を満喫
しました。


(露天風呂:ホテルのパンフレットから)

朝食を済ませ、徒歩で、ホテルの前にある写真のS字型の
デザインの「あやとり橋」を渡り、渓谷沿いの「鶴仙溪」
(かくせんけい)を散策します。

数多くの奇岩が見られる景勝地です。

この渓谷は、山中温泉の中心街に並行しており、渓谷沿いに
約1キロの散策路があります。




芭蕉は、この鶴仙溪からの風景の美しさに、「行脚の楽しみ
ここにあり」と喜んだそうです。

渓谷沿いには、上の写真の「鶴仙渓川床」が営業して
いますが、未だ準備中でした。
鶴仙渓川床は、川のせせらぎを聞きながら、風情ある川床
セット(加賀棒茶とスイーツ:600円)を楽しめるそうです。

上の写真は「道明ケ淵」で、その昔、この深い淵に、龍が住み
里人を困らせていましたが、道明という僧が、これを退治
したそうです。

によって建てられたそうです。

「全昌寺」(ぜんしょうじ)へ向かいます。

菩提寺です。
そして、芭蕉は、泉屋に宿泊中に、泉屋の若主人の久米之助
(くめのすけ)に俳句の手ほどきをしましたが、ここの住職
は、その久米之助の伯父でした。

並んで建っています。

”終宵(よもすがら) 秋風聞くや うらの山” (曽良)
(別れた師を想い、寝ないで、一晩中、裏山に吹く秋風を
聞いている。)
”庭掃きて 出ばや寺に 散る柳” (芭蕉)
(一夜の宿のお礼に、せめて、この柳の葉を掃き清めてから
出立したい。)

境内にある上の写真の左側の柳が、その何代目かの柳です。



ここ全昌寺は、1867年に完成した写真の「五百羅漢」が
有名です。

一日違いで芭蕉が宿泊しました。

芭蕉が宿泊した部屋は、近年新しく修理されたものの、上の
写真の様に、当時の姿そのままで残っていて見学出来ます。
我々のバス旅行は、全昌寺を出て、石川県と福井県の県境
ごぼう)へ向かいます。

上の写真は、現在の吉崎御坊です。


上の写真は、かっては、北潟湖の畔の小高い丘の上にあった
拠点として建立しました。


ここで別れます。
“物書きて 扇(おおぎ)引きさく 余波哉(なごりかな)”
(芭蕉)
(秋になり、夏の間に使用した扇に、何か書き付けて
引き裂いて捨てようと思ったが、名残惜しくて出来ない。
⇒北枝との別れが名残惜しくて出来ないの意。)


写真の「余波の碑」や、芭蕉の句が刻まれた次頁の写真の
記念碑、芭蕉塚が建てられています。


として建立したお寺です。
に立ち寄ったことでも有名です。
から新幹線で東京へ帰りました。
名古屋(17:39) → のぞみ → (19:20)東京

上の絵は、「加賀四湯」の全体図です。
青丸印=あわづ温泉)

(「芭蕉の館」の展示資料から)